よい論文とは(翻訳)



アメリカ物理学会が発行する学術雑誌Physical Review Letters によって書かれた、”Successful Letters” という記事が非常によい内容だったので紹介します。

元の記事は英語で、こちら http://journals.aps.org/prl/edannounce/PhysRevLett.100.100001 から読むことができます。

 

よい論文とは

上の記事をまとめると、

  • よい論文とは、重要で・興味深くて・わかりやすい(読みやすい)という3つの要素を満たす
  • わかりやすく書かないと読者に読んでもらえず、その結果重要度の低い論文になってしまう
  • 詳細な情報を書いた方が説得力が増すと考えがちだが、ごちゃごちゃ書きすぎて何が重要なのか伝わりにくい原稿になってしまうことは避けなければならない
  • 物語のような流れで書くのがわかりやすい。つまり、研究の背景が書かれたイントロダクション・問題点(物語でいう争いの部分)・その解決法(物語での争いの解決)・結論というエピローグ、という構成

ということです。

 


 

英語を和訳するのはあまり得意ではないのですが、日本語で解説している人がいないようなので、概要を訳しておきます。この学術誌はレター(短めの論文)に特化したものらしいので、限られたスペースにどれだけ無駄なく必要な情報を入れるか、ということに神経をつかっています。

“科学者は”クォーク”という単語を、「フィネガンズ・ウェイク」という小説から借りた。しかし、その小説の作者であるジェイムズ・ジョイスは物理とは関わりのない人物だった。作家は必ずしも科学について勉強する必要はない(ただし、作品に必要になって勉強する作家は多い)。しかし、物理学者を含めて全ての科学者は、書き方を学ばなければならない。結果を手に入れるだけではなく、それを他の人たちに知らしめなければならないからだ。

 

100年前、物理学者はほとんどおらず、物理のための資金もほとんどは私的なものだった。文調は正式なもので、自分にだけわかる代名詞や受動態がないように書かれていた。文中では起こった事実が強調され、研究者自身による証言は軽く扱われた。データがとられ、もしくは計算が行われ、解析が行われて発見があり、その結果科学は進歩した。多くの物理学者が育ち、物理に関する基金も公的なものが増えた。そして、物理学者にとって、自分の発見を他の科学者や社会に向かって知らしめることが重要になりはじめた。近年では論文は紙からPDFになったが、発見を他に知らしめることは変わらず必要なままである。なぜなら、物理学はますます各分野に特化しており、公的基金を得るための競争は熾烈になってきているからだ。というわけで、論文の内容を他の科学者やメディアの記者、役人などにわかりやすく伝えるポイントについて考えておくのは重要である。どのようにすればよい論文が書けるのだろうか?


よい論文とはもちろん、重要で興味深く、妥当な結果を含んでいなければならない。しかし、「重要な」や「興味深い」という言葉を説明せずにこう述べるだけでは言葉足らずだろう。それぞれの単語を一文で定義してみよう。まず「重要な」結果はその内容に対する理解や見方を変え、それぞれの研究者が行っているアプローチを改良させ、進歩させうる。また「興味深い」結果は、それが自分や他の人の研究にとって重要だったり、まだ知られていない科学の美しさについて重要だったりするために、読者をそのテーマについて学びたい気持ちにさせる。そして、もう1つ大事な要素、「わかりやすさ」がある。内容によらず、わかりづらい論文はおもしろくなさそうに見え、読まれにくい論文はそれだけ重要度も低くなってしまう。


現在のPRL(この記事を載せている論文雑誌の略称)のポリシーは、その研究分野やあるいは関連分野に見過ごされるべきでない論文を発行することによって、3つの要素を合体させることである。一般的に言えば、広く関心を集める論文ほどよい論文で、重要だと言えるだろう。しかし、興味のある層の広さと重要度は独立ではない。少数の人にとって非常に重要な研究は、ほどほどに重要で多くの人に読まれる研究と同じくらい価値がある。限られた狭い層の研究者にしか理解できないような論文は、「ほどほどに重要で広い層に読まれる論文」になるチャンスを逃しているため、PRLにはふさわしくないといえる。


物理学者はしばしば、発見の興奮があるから研究することが好きなのだと言う。しかし、論文を書くときには、研究者は上述した古風で正式なスタイルに逆戻りしているのかもしれない。この古風なスタイルと、現代の膨大な研究に関する情報の量のせいで、研究結果は読みづらく、理解しづらいものになってしまう。もちろん、論文に細かい説明を入れることは説得力を増すために重要であり、詳細な記述は研究者たちの努力の結晶である。そういう詳細が論文査読者や編集者を納得させ、論文を発行させるために重要であると論文を書く研究者たちは考えている。


しかし、情報を盛り込みすぎることには注意しなければならない。査読者や編集者も、他の読者と変わらずおもしろそうでわかりやすい論文を求めている。細かいことを書きすぎると、「レター(短めの論文)はわかりやすくなければならない。この原稿は詰め込みすぎてわかりにくい。よってレターにはできない」という論理で嫌われてしまう。そうならないためには、論文を書くときはどの情報を盛り込むべきで、またどの情報は省略すべきかをしっかり考えなければならない。どの部分が議論に重要で、どの部分が主要な結論にとって重要ではないだろうか?この選択を著者が行わず、査読者や読者に任せてしまうのは、むしろ逆効果になってしまう。


では、論文の著者が結果を伝えるのに必要最小限の情報量を決めたら、どのようなスタイルがそれを伝えるために適切なのだろうか?答えは簡単で、説明的な散文、つまりシンプルで直接的、形容詞や副詞は必要最小限にしか使われないような文章である。さらに読みやすい論文は、物語のように論理的な構造をもっているべきである。例えば小説は、まず舞台やキャラクターを設定して、そこで争いが起こり、解決され、そしてエピローグ–という構成になっている。科学論文も、これらの要素を使ってうまく構成することができる。まず背景を描き、イントロダクションで科学的な物語を説明する。未解決の問題として「争い」があり、その「解決」として解法が提示され、そして結論という流れだ。エピローグは、結果の意味について議論する「結論」であり、読者にその結果による影響を示唆する部分である。


論文中では内容の濃い客観的な文にこだわる寄稿者が、他の場所では簡単に他の文体に変えられるというのは興味深い。カバーレター(最初に論文を投稿する時に一緒に提出する添え状)に、論文の結論や研究分野に起こしうるインパクトなどが原稿よりもわかりやすく書かれていることがある。実際、なぜその研究結果がおもしろいのかということに触れていない原稿すらある。また、否定的な査読者への返信に小説や物語を思い起こさせるものを書いてしまう人もいる。それらは私たち編集者にとって面白いが、必ずしも論文の発行に結びつくものではない。


ここで述べたことが、限られたページ数で本質的な詳細をわかりやすく伝えるという難しい仕事に対するヒントになればよいと私は願っている。最も重要な要求は、(1) 必要な情報だけを入れること (2) それをよどみの無い物語にまとめること である。この記事も、この2つの要求を満たすように書いてみたつもりだ。文章の構成自体は、上述したよりもっとゆるくてもよい。受動態は使うべきではないと書いたが、受動態を好む作家もいるだろう。この手の好みの問題は、私にとって不可解である。


管理編集者 Reinhardt Schuhmann”

かなり直訳気味に訳したつもりですが、お気づきの点があればコメントからご指摘いただけると嬉しいです。




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